Tsurugamine Battlefield trace 畠山重忠古戦場跡


文化財探訪で横浜市旭区にある畠山重忠古戦場跡を訪れた。


畠山重忠公の碑(古戦場跡)

 重忠没後750年を迎えた昭和30年6月22日の命日に、地元鶴ヶ峰と、重忠の出生地である埼玉県川本町の有志により建てられたものです。
この石碑には、重忠の生い立ちや、人柄、合戦の様子などが書かれています。手前の竹は、逆さ矢竹です。
なお、万騎が原には、明治25年建立の畠山重忠の遺烈碑があります。 その他、六つ塚、駕籠塚、首塚、腰巻・矢畑等沢山の史跡があります。

旭区役所HPより



文化財
・横浜市登録地域史跡
 畠山重忠古戦場跡


2014年9月12日
横浜市旭区鶴ヶ峰本町一丁目他


関連

横浜市域文化財 11 史跡 -2-
http://hamacul.at.webry.info/201406/article_21.html




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首洗い井戸、鎧の渡し


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首塚


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鶴ヶ峰・二俣川合戦の地
畠山重忠終焉の地


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畠山重忠公の碑

手前の竹は、逆さ矢竹


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畠山重忠@Wikipedia

畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。

源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれ(畠山重忠の乱)、子孫は名字を変えた。館は、鎌倉筋替橋の東南。

存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。









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